CHAOS JYHAD 第五話 運命の賭け値

「魔女の月4枚のミリオンフラッシュ。アタシの勝ちだね」
「い、イカサマだッッ!!」
 机上のカードを払い捨てて立ち上がる薄汚いローブの男を、”ルーレット”は薄目で見上げた。
「アタシは言ったろ。イカサマはしない」
 ”ルーレット”は椅子の上に立って男の背丈に目線を合わせ、凄みのある笑みを見せた。
「それにねェ、アンタ。相手をイカサマ呼ばわりする時ぁ、それなりの証拠か覚悟がいるもんだよ。それがギャンブラーのルールさ」
「黙れっ! イカサマだ、したに決まっている! 我が下僕に脳を喰わせ、魂に直接聞いてやる! 邪術師コーネルを謀ったことを後悔しろ、小娘ッ!」
 男はローブの両袖を交差させ、数言唇を動かした。酒場の空気が呪力に震え、悪寒と邪気が”ルーレット”の首筋をかすめる。
 それなりの呪力だ。得体の知れぬ世界から化け物を呼び出し、”ルーレット”を喰わせるつもりなのだろう。
 だが、男にとっては不幸なことに、その術の詠唱は長すぎた。
 背後に立てかけてあった長い包みをひと振るい、煤で汚れた酒場の天井まで、それは伸びた。
 美しいギャンブラーの手に握られるは、銀にきらめき武骨で重い、一振りのポールアーム。
 振り下ろされた後には、テーブルも、男も、床も椅子も、真っ二つになって床に転がっていた。
「……っと。賭け金もいただいてないってのに、ちぃとやりすぎちまったかね…」
 不機嫌そうに触手を振り回す酒場のマスターに目配せして、ヴァイアランスに仕える戦士……その本業はギャンブラー、通称ルーレット……は、悪戯っぽく笑った。
 

「あれ。余分なもんまでいただいちまったかねェ」
 邪術師の懐から抜き取った革の財布を検分していたルーレットは、小さなアクセサリのような物を目に留めて眉をしかめた。
 ルーレットはギャンブラーであり、追い剥ぎではない。だから賭けの勝ち分以外の金は、全て酒場のマスターに修理費として渡してきたつもりだったのだが…
 金の細工を施した直径2cmに満たない水晶玉は、鈍色の金貨に紛れて幻想的な光を放っていた。
 それとなくのぞき込む。水晶の中に渦巻く色。そして……徐々に形を結ぶ虚像。
「こいつは…」
 そこに映し出されたのは、言語に表せぬほどの快楽と苦痛で苛まされているような、悶え、よがり、涙と涎を垂れ流す少女の顔だった。
 邪術……魂を喰らわせる……水晶玉……
「参ったね……とんだ拾い物をしちまったよ、まったく」
 汚れた側溝に水晶を投げ捨てようかどうかと迷ったルーレットは、愛らしい顔をしかめて数刻逡巡し、不機嫌そうにきびすを返した。
「仕方ないね。あの人に、相談してみるか」
 一度決めればためらいはなく、ルーレットの脚は次元船[プレーンシップ]の港へと向かった。世界群の彼方、究極の迷宮に住まう、あの方に会う為に。

 ***

 ディータは星を見るのが好きだ。
 もともと海兵で、いつも甲板から星を眺めていた。まあそれには方角を知るという意味もあったのだが、あの頃はまだ女だったディータは、しばしばロマンチックな幻想をそこに見出したりしていたものだ。
 いずれにしろ、ヴァイアランスの戦士となった今は、表だって皆に言えるような趣味ではない。ファルカナに知れたりしたら、一生笑いの種にされてしまうだろう。
 だからディータは、陣幕周辺を見回り、神殿の一画に開いた天まで届く縦穴を見上げる時だけ、星を楽しむ。
 魔次元の暗雲を突き通し、鋭くしかし清冽に美しい異界の星を……
「……?」
 その輝きが一点、澱んだ。
 澱みは星の光を遮りながら、徐々にその曖昧な輪郭を定め、大きさを増す。それが落ちてくる物体だと気付いた瞬間、ディータの体はすでにその場から跳びすさっていた。
 光と轟音。星界の異臭と大地の震動。
 ディータは土煙を上げる大穴へと、警戒を怠らず歩を進めた。天から迷宮に落ちてくるなど、いずれまともなシロモノではあるまい。
 埃を炎の息で吹き飛ばしたくなる欲求を抑え、穴の縁に立つ。背負っていた愛用の剣を構え、底に目をやる。
「うっ……」
 そこにあったのは…

 蠢く肉塊だった。 

「ふむ…ではお前の名はアビカ、呪いを受けてこの生物…グシーナを植え付けられた…というわけなのだな?」
「は…ひゅ…は、あぁぁ…そ、そ…ぅ…だ…」
「ふむう」
 巨大な肉塊に磔にされ、股間で猛烈に動き回る触手とも性器ともつかぬ器官に犯されながら、少女…アビカは答えた。
 ザナタックは興味深そうに、グシーナの姿を観察している。天から降ってきたこの二人(?)を、ディータはラディアンスやジェナの力を借りて陣幕まで運び、ザナタックに検分させてるのである。
「ここ…はっ……どこ…んっ!! なん…だ……」
「ここはヴァイアランス神殿。偉大なるシオン=ヴァイアランスの領域にして、ケイオスヒーロー・ザラ=ヒルシュ様の戦陣だ」
「ヴァイア……ス……ザ……ラ……私は…そんな…異…界…まで…来……」
 天を見上げるアビカの顔は、涙こそ堪えているものの、深い絶望が刻まれていた。だがその表情も一瞬、責めを激しくした肉の淫魔に翻弄され、また少女は乱れ狂う。
「これはおそらく、この生物にとっての食事なのだ。アビカに快楽を主目的とした交尾行動を行い、そこから生まれる肉体的快楽を喰っているのだな。インフィニア領域下層の淫魔の生態がそうであると、ある本で読んだのだ」
「助けられないのか?」
 ディータは悶え続けるアビカを横目で見ながら、ザナタックに囁いた。
「無理なのだ。強制的に切除すれば、宿主ごと壊死するのだ」
「バカ、お前、声がでかい…」
「わ…かって…いる…遠慮…す…ぅ…うああああっ!! く、くぅっ!!」
 気丈な発言をしようとしたアビカは、白目を剥いてのけぞった。股間と同化した肉の筒が、膨大な量の液体を送り出すように収縮している。射精…しているのか。
 歓喜と屈辱がない交ぜになった表情のまま、アビカはぐったりとうなだれた。
 年はまだ14ぐらいだろうか。こんな有様になる前に持っていたであろう聡明さや意志の強さは、今でもかすかに見て取れる。普通の人間ならとうに気が狂っているだろうに…ディータは欲望よりもむしろ嫌悪感を覚え、でたらめに這いずり回る肉塊から目をそらした。
「なあザナタック、放っておくわけにもいかないし…ザラ様に頼んでオレ達が世話をしてやろうかと…思うんだけどな。どうだ?」
「…世話…いらない…そんなこと…殺してくれ、いっそ……」
「アビカ、お前……」
 うつむいて肩を震わすアビカに、ディータの胸が痛む。混沌の海に落ちて、有角で四本腕、ふたなりの化け物になった時、自分も同じように……
「そんなこと言うなよ。ザラ様に会えば…きっと…」
 そう、ザラ様だ。オレのことはザラ様が救ってくれた。だから、ザラ様に会わせれば……
「うむ、そうなのだ! 実に興味深い研究対象なのだ。ぜひ我々で飼うのだ!」
 アビカの肩が、ビクンと震えた。
 ザナタックの無邪気な言いように反発を覚えながら、ディータはグシーナを引きずってザラの前まで運ぶことにした。
 だが…

「……醜いですわね」

 ザラの第一声を聞いて、屈辱に歪むアビカの頬を涙が伝い落ちた。

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