CHAOS JYHAD 第十二話 砂漠の戦士に混沌の抱擁を

 人間には、運命が変わる瞬間というものが存在する。
 リリア=シャディールの場合、それはひどくはっきりとした形で訪れた。
 今でも思う。自分の運命は、本当ならあの時破滅していたのだろうと。

 リリア=シャディールは、砂漠の大部分を治めるシャディール王朝の17代目王位継承者であり、「姫将軍」の名で知られる勇将だった。
 兵を率いれば敗れることなく、武芸にかけては男達も敵わぬ、誇り高き王族であった。
 だがそのシャディール王朝は、ある時あっけなく終焉を迎えることとなる。
 王位の係争。異教徒の攻撃。そして重臣達の裏切り。
 リリアは都を追われ、数少ない兵と共に同盟国を目指した。だが、白い異教徒の軍は彼女らを見逃さず、リリアはあえなく囚われの身となった。
 薄暗い天幕の中、後ろ手に拘束されたリリアを前に、異教徒の将は傲然と立っていた。口髭をたくわえたその男は、下卑た笑いを浮かべながら、薄青い薬の入った注射器をリリアに見せた。

「これは<魂砕き>と言ってな。女を狂わせ、男のことしか考えられなくする狂気の薬だ。我らの国でも禁じられて久しいが、邪教徒の女から悪魔を追い出すには丁度良かろう。……たっぷり楽しむといい、姫将軍殿」

 薬が血管に入った瞬間、視界は闇に塗り込められた。意識が明滅し、体は鉛のように重くなっていく。
 それに反して鋭敏になる皮膚の感覚。下腹が熱を持って悲鳴を上げ続けている。自分を囲む男達の体に、なぜか凄まじい欲望を感じて、リリアは砂地を爪でえぐった。
 自分はこのまま、兵達の慰み者にされるのだ。
 無数の男達に……誇りも何もかも奪われて……
 リリアの心を、どす黒い絶望が押し潰した。

 口では「やめろ」と言いつつ、ニヤニヤと笑う男の口髭を唇で受け入れようとした、その時。
 男は釣り上げられた魚のように天幕の頂上まで飛び上がって、真っ二つに爆ぜた。
 何が起きたのかと見上げる兵士達の首は、一瞬の後に仲良く地面に並んでいた。
 テントの布地も、その中の男達もまとめて斬り捨てた二人の影は、薬に侵されて虚ろな瞳をしたリリアを見ながら、平然と会話を始めた。

「おやや。このコ、何か使われてるね。危なかったなあ。ほらね、だからボク、何でもいいからぶっ殺しちゃえって言ったでしょ?」
「そうですね…やっぱり、戦場の指揮ではルキナ様には敵いません」
「でしょ? サムラーイは将に従うでゴザルよ、ニンニン」
「それは侍じゃないです…」

 一人は紫色の髪に褐色の肌をした、鎧の少女。その体はアンバランスな巨乳と美しい筋肉を備えていて、人外の妖美をまとっていた。
 もう一人は、異国の鎧を着た可憐な少女。黒髪はポニーテールにされ、奇妙な形の曲刀は兵士達の首を落としても血脂すら浮かべていない。
 しかしその時のリリアには、彼女らの素性を尋ねる余裕すらなかった。
 砂が硬くなるほどに愛液を滴らせ、自分の体を触れたい欲求に耐え続ける、リリアには。

「ああぁ……ぐ……く……ぅ」
「辛そうだよ。イセス、介抱してあげたら?」
「え? で、でも僕なんかより、ルキナ様の方が…上手ですし。それと、僕の名前はイセンブラスです。縮めないで下さい」
「ボク、薬使ってやるのって大キライなんだ。ボクの魅力を発揮する機会がなくなっちゃうからね。だからほら、イセス、エッチしてあげなよ。ほっといたら、そこらの男と構わず始めちゃうかもしれないよ?」
「……………はい」

 少女……イセスは、薬に悶え狂うリリアを優しく抱き、その夜一晩中、床を共にしてくれた。
 実際の所、少女は少女ではなかった。男の性を体に併せ持つ、両性具有者だったのだ。
 しかしイセスは、リリアに薬を打った男達のようには振る舞わなかった。ともすれば欲望で我を失いそうなリリアを相手に、心を通わせ、体を気遣い、リリアの初めての性をゆっくりと開花させてくれた。そしてリリアは薬がもたらす欲望のままに、イセスの体を貪り続けたのだ。

 次に目が覚めた時には、何もかも終わっていた。
 すでに<魂砕き>は体から抜け、リリアの肉体にはイセスのぬくもりだけが刻み込まれていた。
 王朝は、無くなった。確かに、反乱軍と、それに力を貸した異教徒達は、シャディールの都を手に入れた。だがその数刻後、砂漠は混沌の軍に呑み込まれていたのだ。
 砂漠の都は混沌の神ヴァイアランスを崇拝する新たな街となり、魔将ルキナはしばしの滞在の後、別の世界へ旅立って行ったという。
 リリアには、幾つもの道があった。かつての忠臣達は、リリアを王にして王朝を復活せんと唱えた。同盟国の王は、遠戚にあたるリリアを気に入り、息子の婚約者にしてもいいと言ってくれた。腕を見込んでか、冒険者達からの誘いもあった。
 だが……リリアはその全てをかなぐり捨て、ヴァイアランスの神殿に向かった。
 入信の儀を終え、戦士の誓いを立てた。
 その身は両性具有となり、鍛えられた肉体はさらに美しさを増していった。
 そしてリリアは旅立ったのだ。神殿最強の戦士としてケイオスヒーロー達に仕えるため、遙かなる異界へと。

 そう…いつかまた、イセスに会えると信じて。




「神殿? あぁ、悪いけどそりゃあ全然違う方向だな。えっとな、あっちに魔導エレベーターがあるから……」
 セルージャと名乗る魔導看護婦に道を教えられ、リリアは暗い天にそびえる骨の塔を見上げた。
 このセルージャという人物には、どことなく親近感を覚える。鍛え上げられた褐色の肉体、それに反して豊かすぎるほどに張りつめた胸の双球。絶世の美女と言うにはいささか大作りな美貌と、女らしくない話し方。いずれも、リリアそっくりだった。
 彼女とリリアが違うのは…ポニーテールにされた紅い髪、そして埃にまみれた砂漠族の旅衣装だ。
「ありがと…助かったぜ。こんなに大きい迷宮を歩き回るのは、さすがに初めてだから…」
「おう。ま、ルキナんとこにお客が来るのはいつものコトだからな、俺も慣れたもんさ。……そうだ、そう言えば、あんた…名前は?」
「あたし? あたしは…」
 早速歩き出していたリリアは、振り返って微笑むと、少し大げさに砂漠族の礼をとった。
「あたしは、リリア=シャディール。砂漠出の、ヴァイアランス戦士だよ」

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