「良いかガウォーラ。剣あるいは拳いずれにおいてもそれは変わらず、隙とは常に己の間合いはこれと思いこむその背後に生じる。
すなわち月影を斬りてもそれにたゆたう朧を見ず、月に敗れた剣士ミリスコスの如し。なればこの意味、分かるじゃろう」
「なるほど、それで拙者の尻を触ったのでござったか。しかして老師、拙者の返した拳をわざと受けられるとは、これも何かの教えがあってのことでござろうか?」
「うむう…そ、それはな」
神妙な顔をして、右目に青あざを作った小兵の魔族――玄魔は、深く考え込むフリをした。
窮境の淫魔界インフィニアにほど近い、伝説の魔山の上空。かの大迷宮が眠るその遙か高みの雲海である。
玄魔に向かい合い、両手に持つ奇妙な形の短剣から電光を散らしているのは、ガウォーラ=シス。玄魔が根城とする六軸の界の中で、時空を越えて最強の分類に含めて良いであろう、青竜人の雷闘士(ギー・バジス)である。
青鱗に覆われた肉体は寸分の隙もなく鍛え上げられ、その厚い密度は戦士たるに十分すぎるほどだ。凛々しく跳ね上がった眉、精悍な顔つき、いずれもガウォーラの真剣さを示している。
――こいつは困ったことになったのゥ……
威厳を損なわぬようますます眉間をしかめながら、玄魔は内心冷や汗をかいていた。
極東大陸にある空中都市でガウォーラを見つけた玄魔は、その力強さと美貌を見込み、ザラへの贈り物にしてやろうと勝手に決め込んだ。
だが雷闘士、しかもその将ともなれば、適当な術で腑抜けにして届けられると言うタマではない。ましてや、ただ騙して連れていったりしたら、激怒した青竜人に神殿が破壊される恐れさえある。
そこで玄魔は自らの実力を青竜人達の前で見せ、偉大な老師が弟子にしたという名目でガウォーラをここまで連れてきた。
だが、ついつい悪い癖が出て……尻を撫でたら、これである。無論、わざと受けたのではなく、ニヤついてる間に避けそこねたのだ。
「老師、いかに?」
ガウォーラが詰め寄る。
「ううむ」
玄魔が後ずさる。
ここでボロが出たら、せっかくの苦労が水の泡だ。
「わ、儂の沈黙の意味、分からぬかガウォーラ?」
「………はっ!」
ガウォーラはその金色の瞳を見開き、己の胸に手を当てて黙考した。
「そ、そういうことでござったか……いや、やはり拙者、まだまだ未熟でござる」
何が分かったのか分からないのか、ガウォーラは玄魔に一礼して見せた。
――ふう。
胸をなで下ろした玄魔は、眼下に広がる山並みを指さし、その声を高々と張り上げる。
「さてガウォーラ、儂が供をできるのもここまでじゃ。すでに教えた通り、かの魔山に眠る迷宮には、『ヴァイアランス』という究極の武術が伝わっておる。絶壁の彼方にまします聖地に赴き、武神ザラ=ヒルシュ殿に教えを乞うのじゃ、良いな!?」
そう…玄魔は、ヴァイアランスという武術があるとガウォーラに信じ込ませて、この迷宮まで連れてきたのである。玄魔が老獪なのも確かだが、それより何よりこのガウォーラという娘、あまりに生真面目で少しも疑う様子がない。
「はっ! 必ず最強の武術を極めて帰りまする、老師!!」」
ガウォーラは大きく頷くと、青白い翼を肩からいっぱいに広げ、青竜人流の礼を取った。
「うむ! ヴァイアランスを修めれば、そなたの技に敵う者、六軸の六面六時代いずれにもおるまい!! 邁進せい、ガウォーラ!」
「では……御免!」
ガウォーラは翼を切り返すと、その青い身体を輝かせながら、雲間へと降りていった。
「ふぉっふぉ……まあ後は、御主人がザラちゃんに伝えて下されたとおり、上手くやってくれるじゃろ♪」
玄魔は一人ほくそ笑むと、念を数語つぶやき、迷宮の旧市街へと転移していった。
***
「話は聞き及んでおります。歓迎いたしますわ、ガウォーラ」
「はっ! ありがたき幸せ」
赤い絨毯の上で正座したガウォーラは、武神ザラへ深々と頭を下げた。
禍々しき山脈の地底深く、妖異な神殿と向かい合う陣幕内の、広大な空間。幾重にも折り重なる滑らかな布地は魔法の光に淡く照らされ、高い天井からこの謁見の間の床に至るまで、緩やかな曲線を描いて吊り下げられている。
礼を終えたガウォーラは、もう一度ザラ達を観察した。
美しい。美なとどいう概念とはおよそ縁のなかったガウォーラですら、武神ザラの美貌には驚かされた。
だが、あんな華奢――実際はかなり均整の取れた身体だが、青竜人からすれば華奢である――な体で、最強の武術など操れるのだろうか。
それに比べれば、周りに控える戦士達の肉体は、ガウォーラから見ても十分と思われるほど鍛え抜かれている。
金髪碧眼、ガウォーラ並みの背丈を持つ格闘家。そして大剣を帯びた騎士。下半身が竜蛇となった剣士。四ツ腕の剣士、巨大な胸の格闘家。あの呪紋の格闘家は、まさかコノランスの貴士か……?
ただ一つ不思議なことは、それらヴァイアランスの戦士達全員が、ガウォーラが初めて目にする奇妙な器官を股間に備えていることだった。
筒のような形をしたそれは、先端が膨らんでメイスのような形状をしており、それぞれの呼吸に合わせて息づいたり震えたりしていた。
「これが気になりますの?」
「は!」
吸い込まれるようにザラの器官を見つめていたガウォーラは、突然声をかけられて我に返った。
「はっ。拙者にござらぬ身の一部なれど、皆様備えていらっしゃる所を観ずるに、あるいはヴァイアランスの流派と関係あらんや、と考えておった所でござりまする」
「さすがは青竜の勇士、慧眼ですわね」
ザラは自らの座から立ち上がると、己の股間に付いた逞しい器官を撫でながら、ガウォーラの前に立った。
「これこそ、最強の武術ヴァイアランスの用いる武器。あらゆる武具より雄々しく、あらゆる魔法より力強い……様々な呼び名がありますけれど、差し当たりペニスとでも覚え遊ばせ」
「ぺ…にす?」
ガウォーラは自分の鼻先に突き出された妙な名前の武器を、改めて眺めた。
尖ってもいない。刃もない。ただ先端が、粘膜と同じピンク色をしているだけだ。これをどう武器とするのか、想像もつかない。
しかしザラ様は、これこそが最強の武器だとおっしゃるのだ。ヴァイアランスとは、赤竜人が使う炎砲角と同じ様な、己の身の一部を武器とする流派なのであろう。
ならば、剣にも短剣からレイピア、大剣や雷闘士のヴランギーが存在するように、戦士達の『ぺにす』が様々な色つや形をしているのも納得できる。
「ではザラ様、拙者は如何様にすれば、その『ぺにす』を授かることができるのでござろうか?」
「今、差し上げますわ。ヴァイアランスの祝福を」
そう言葉を発したザラの唇が、ガウォーラの唇に重ねられた。
「!!?」
初めて触れる他人の唇の柔らかさに、ガウォーラは戸惑う。だがそれを噛みしめる余裕も与えず、ザラの口中から熱く濡れた肉塊が侵入してきた。
――舌!?
「んん…んんんっ……」
喉が柔らかい厚みで塞がれ、何かが、何か途方もなく熱いものが、ガウォーラの身体に広がっていく。筋肉から力が抜け、雷電の血まで熱さに吸われ、全ての熱は一つになって背骨を駆け下りた。
そして一点、下腹での爆発。
「うあああああああっっ!!?」
高い天井を震わすガウォーラの絶叫が消えていく頃、ザラは唇から唾液をぬぐい、微笑みを投げかけた。
放心しかけていたガウォーラは、己の身を見下ろして目を見開く。
「太く……逞しく……しかも、二本も。ヴァイアランスの素質十分ですわね」
ザラの指が頬を撫でた。思わず惚けそうになる意識を超人的な意志で引き戻し、ガウォーラは居を正した。
「ザ、ザラ様っ、ありがたき幸せに存じまする!」
「ではガウォーラ、早速稽古と参りましょう。ペニスの使い方、ヴァイアランスの戦いぶり……たっぷり教えて差し上げますわ」
ザラの微笑みと同時に、ガウォーラを囲む戦士達の輪が、ずいと一歩踏み出した。