イェンの章・3
 (syo)

「あーねーうーえーっ!!」
 返事はない。炎の燃える音と、なんだか良くわからない音が聞こえるだけである。
 メイはまだ、何も知らない。自分の足元に転がる金属らしき物体が、イェンの斬り壊した敵の一部と
いうことも、これから自分がその敵の相手をしなければならないということも。
「あ、わかったアル! これは何かの試練アルね。いいアル! 受けて立つアル! 大歓迎アル!」
 ぴょんぴょん跳ねるメイ。彼女の最大の魅力であり、最高の欠点であろう、状況を自分にとって良い
方向に理解するというのは。


 慌てる、焦る、走る、跳ぶ、着地を失敗して転ぶ。
「いたたた、痛いアルよー、地面が何かはわからないアルけどこんなに硬くなくても構わない気がする
アルよー。とか言ってる間に追いつかれたアル。大ピンチ過ぎるアル!」必死に素早く立ち上がり、ま
た全力疾走を開始する肉体にぴっちりと張りつくスーツを着た少女。
 ティー=トゥー=メイはパルボの<足の裏>と戦っていた。実の所ただメイは逃げているだけなのだ
が、メイにとってはそれも立派に『戦闘』なのだ。
 偉大な戦士たる姉、ティー=トゥー=イェンが破壊した<右脚>の残骸である存在が相手であっても
メイには『強敵』以外の何者でもない。
「なんだか恐いアル。姉上、助けて欲しいアル、姉上〜っ! と呼んでも呼んでも来るはずが無いのは
さっきわかったアルる〜っ! いやぁん。とか可愛い声を出していたらなんだか私の脚が遅くなってい
るよーな気がするのは錯覚アルか? もう姉上の持っている灼炎剣だか冥王剣だか神骸剣だか凶玄刃だ
かなんだったのか名前もよくよく覚えてない剣一本分の距離くらいに詰まっているアル。どうするアル
か? どうするアルか? どうするのか考えていないアルけどそれは秘密アル! ただとりあえず走っ
ていればなんとかなるかも知れないアル! あいやぁっ!!」
 走るメイ。何も考えていないらしく、たまにつま先を石にぶつけたり、立ちっぱなしの陰茎をぎゅっ
と握って揺れるのを停止させたりしている。(そのたびに、あっ・・・、と切ない溜め息を吐き出して
しまい、その一瞬の乱れる呼吸のせいで速度が落ちるということにメイは気がつかない)
 また転んだら大変なことになるとかそういったことも考えない。考えることはただひとつ、この試練
を乗り越えたら姉上は抱いてくれるかどうか? ということだけである。
 短絡的にメイは抱いてくれると思いこむ。
(こすりあったり、さきっぽでつつきあったり、なめあったり、いやらしい汁を飲みあったり、入れた
り入れられたり・・・・・えへへ。姉上、許せと言っても駄目アルよ・・・・)
 いろいろと、もうそれは絶大絶大また絶大に、妄想は膨らみ続ける。
 なので、当然と言えば当然に、またメイは転んだ。
「わああっっ!! 艶っぽい事を考えていたら転んでしまったアル! とか言っている内に、ぐえっ」
 踏まれてしまった。メイは金属の物質の全重量を背中で受け止め、息が出来なくなってしまう。
 死を覚悟するメイ。この程度では猫だって死なないが、実戦が良く分かっていないメイはすぐに危機
を感じてしまう。そして逃げたくなってしまう。
 無論、感情の無い<足の裏>はそんな甘えを許容しない。どんどんどん、と派手な音を立てて背を打
ち続ける。
「あ、あね、姉上・・・げっ、あ、あ、あねっ、ぐゅっ、あ、ああ、あっ・・・・・・」
 メイは泣き、姉に助けを求める。姉はその声を聞いてはくれないという事実を思い出し、メイは絶望
的な気分になる。そして、涙の量は増えた。
 運が・・・・・・良かった。
 メイは幸運にも<足の裏>のとある弱点を叩いてしまったのか、単にもう死んだと判断されたのか、
時間の無駄と思われたのか、ともかく今までメイを打ち続けていた<足の裏>は、停止してしまった。
 運がいい。
 メイは這って逃げ、少し呼吸を治した。よくよく見れば<足の裏>は小さい。それを誤魔化す細工も
ない。ただ人の手のように造られているふたつの『かなもの』だ。
(私は馬鹿アル。口から血も出ていないアル・・・・・まだ、全然平気に戦えるアル・・・)
 あ、とか、は、とか聞こえる気合を入れる声が有り、メイは立ちあがった。
「さあ! げふぉ・・・・うえっ・・・・・・・さあ戦闘再開アル!」咳込みながらもそれだけの言葉
を言うと、メイは<足の裏>に向かい走り出した。
 気を入れ、いいかげんな構えで、メイは<足の裏>を睨みつけた。
 なんだか凄く恐かったが、姉の役に立つためならば仕方の無いことだと思えた。
「さあ、来るがいいアル!」
 メイは叫んだ。
 しかし内心、逃げ出したかった。