イェンの章・1
 (syo)

その場は熱い。人が長居出来る場ではないことが分からぬものなぞ、今後千年は出て来ないのでは無
かろうか? と、思ってしまうほどに熱い。
 黒い大地は何処まで続くか解らぬ程に広く、大地のいたる所から噴き上がる紅い炎は、全ての物質を
火炎色に染め上げる。だから熱い。まるで地獄のように。
 そう、ここは地獄。この世とあの世で言う所の『あの世』である。
 その地獄の一画には、いつの頃から有るとも知れぬ古い意匠の小屋がある。
 地獄の守護をするものに与えられた小屋である。
 今、その主、地獄の守護を自らの役割としている魔族、ティー=トゥー=イェンは、赤く丸い球体を
指で弄び、石造りの寝台の上に寝転んでいた。
 哲人と言われる事もある彼女にしては珍しく、何も考えていないような表情が浮かんでおり、気も抜
けているかの様に見える。
 手にもっている球体を軽い力で天に投げ、正確に自分の手に戻す。それを先程から、幾十と繰り返し
ている。
「どうするものか・・・」球体を自分の眼前へと運び、じっと見つめる。その後、手に持つ球体を頭の
横に置かれた袋へ戻し、溜め息を吐く。
 この球体、ただの飴玉である。
 自分と同じく迷宮の守護者である魔メイド、レイシャから貰ったのだ。
 創り過ぎたのか、誰かから貰った量が多すぎたのか、買って来たのか、誰かの命令なのか、というこ
とを聞く前に彼女はイェンの前から立ち去ってしまったため、どのような理由があって飴玉を渡したの
かは不明である。
 ただ、口に入れても何ら害の無い成分で創られていることは、小一時間前にひとつ食して分かってい
る。
 そう、成分に関しては問題はない。
 問題は味である。
 甘いのだ。
 失敗作を食わされているのでは? と、思うほどに砂糖味なのである。
 イェンは甘いものが食えないという訳では無い。
 しかし、飴はあまりにも甘すぎた。
 これ以上砂糖味の飴を食う事に何の意味があろうか? イェンは考える。
 嫌いな味と言って捨てることに結論を持っていくのは、レイシャに悪い。しかし食う気が起きない。
「・・・・うむう・・・」呻き声を上げてしまう。どのような理由にせよ、貰ったものを邪険に扱う事
はイェンの精神が許さない。しかし口は許している。砂糖味の飴玉を平然と口内で溶かし続けることな
ど不許可であると叫んでいる。
 イェンは悩む。たいがいの者にしてみれば小さな事であるが、それでも考え過ぎるきらいのあるチャ
イニーズデーモンは、真剣に悩む。
 これが、関節技を扱う敵と素手で戦うには? とか、万が一にも視力を失った時にはどう戦えばいい
のか? ということであるなら悩みはしない。戦うことであれば、イェンには知識が有り余っている。
 だが、戦闘とは大きく離れた事となるとイェンはどう対処すべきか必要以上に悩む。
 今回は、結果が出せない。
 結果を出す前に、イェンは地獄どころか、地獄を最下層に所有するこの混沌の迷宮世界を破綻させる
程の異変を感じ取ってしまったのだ。
「禍・・・」
 この迷宮はその存在を維持し続けてくれるのだろうか、これから訪れる敵対者に対して。そんな事を
思いながら敵の唐突な来訪を歓迎するべく、イェンは灼炎剣を手に立ちあがった。
 凛々しく、気弱な者にとってはまともに見据える事のかなわぬ厳しい表情で、イェンはひとつ息を吐
いた。そして囁く。
「仲間は、死なせぬようにする。絶対に」
 その言葉は、例外なくその通りとなった。
 そしてティー=トゥー=イェンは、飴の入った袋を無造作に掴み、腰のベルトにぶら下げた。
 深呼吸を始め、彼女は気合を高める。
 また彼女は言った。
 仲間は、死なせぬ。と。

(イェンの章・2へ続く)