セルージャの章・3
 (玄魔)


 掴んだものは、イェンの角だった。

 握りしめるとそれは何の抵抗もなく破片となり、粉となり、塵となってセルージャの拳の隙間から風に流れていった。

「………………!!」

 目を上げた。
 揺らぐ大気の向こう、白痴の猿の姿をしたパルボIQの〈胴体〉が見えた。
 視界を遮るものは何もなかった。
 一瞬前に自分とパルボの間に飛び込み、五体を拡げて自分を庇ってくれたはずのイェンの姿はなかった。
 ただ、手の中の塵と。
 目の前の地面に、黒く焦げた足跡がふたつ。

「…………うぁっ…………………………」

 辛うじて声にはなったが、言葉にはならなかった。
 後ろでメランが息を呑んだ音が聞こえたが、その音はセルージャの耳から心までのどこか途中で消えた。
 春先の雪のように、白いものがちらちらと舞い落ちてきて、セルージャの肩に止まった。
 羽毛だった。


《第1目標遂行完了。第2目標沈黙、敵性レベルC+ヘ移行。第6兵装肢、待機状態ヲ解除。下象限戦区Aプロセシング最終チャート開始。リリース》

 ごうん、という重い音と共に、〈胴体〉の右脇にへばりついていたあの〈右手〉が再び本体を離れ、第二階層の大地に新たな大穴を開けて潜り込んでいっても、セルージャはその意味を理解しなかった。

《警告。下象限戦区Bニオイテ第2、第7兵装肢ニA+レベルノ障害。敵性レベルA++攻性動体ヲ確認。
 提言。現目標ノ0.3ターン以内遂行ハ可能。敵性レベルC-ヘ移行後モードZΩ起動ノ許可ヲ求ム》

 目の前の敵はもはや恐るるに足りないからさっさと片付けて次のことをしよう、という意味である。およそ戦士にとって最高度の侮辱に等しいその言葉さえも、今の彼女には届いていなかった。

《提言ヲ認可。有害砲スタンバイ》パルボの〈口〉の中から、先の無存在砲群に数倍する巨大な砲塔がずるりと迫り出してきた。

《発射》

 突然すさまじい衝撃が鳩尾付近に炸裂したときも、セルージャの心は止まったままだった。己の肋骨が砕けていく音を、他人事のように聞いていた。
 褐色の逞しい体躯が人形のように吹っ飛び、何か乾いた脆いものにぶち当たって、破片を撒き散らしながらその内部へめり込んだ。セルージャには分からなかったが、それは次幻樹の幹だった。飛び散った木っ端とともに、はらはらと乾いた枯れ葉が数限りなく、幹の外に突き出た褐色の脚を覆った。
 次幻樹は、死にかけていた。


 オレが守れなかったネクロポリス。
 オレが救えなかった次幻樹。
 オレが死なせてしまったティー=トゥー=イェン。

 オレが。

 オ。

 レ。

 が。


《敵性レベルC-ヘ移行。モードZΩ:最終原初絶滅モード起動》

「ウソ……ウソだよっ、そんなっ……ティー=トゥー=イェンが、死んじゃうなんて……!!」

 泣き叫ぶメランの声が、遠くに聞こえた。

 背中が、やけに熱かった。


〈セルージャの章・4へ続く〉




語注

・《第6兵装肢、待機状態ヲ解除。下象限戦区Aプロセシング最終チャート開始。リリース》…セルージャの章・2において整備のため一時帰還した第6兵装肢〈右手〉が整備を終え、本格的にネクロポリス抹消にかかるため再出撃したということ。

・《下象限戦区Bニオイテ第2、第7兵装肢ニA+レベルノ障害。敵性レベルA++攻性動体ヲ確認》…前章でも説明したが、下象限戦区Bとはラネーシア神殿を指す。敵性レベルA++(非常に手強いということ)攻性動体とは、タッグを組んだルキナとザラのことである。

・有害砲…パルボIQΔTypeの特殊武装の一つ。光・法の属性を持ち、金色と黒に輝く亜実体エネルギー弾で、対象を物理的に粉砕しかつ霊的にストレス化する強力な兵器。魔族、特に淫魔族に対して非常に有効。

・モードZΩ(ズィー・オーム)…別名最終原初絶滅モード。パルボの最終攻撃形態。桁違いの攻撃力を持つがエネルギー消費が激しく、発動時の隙も大きい(この辺ハイパーモードの基本)。