魔神の章・5
 (玄魔)




「拝啓 諸神諸侯方におかれましては時下益々御健勝のことと慶賀申し上げます」

 馬鹿丁寧な挨拶の辞と共に、神雷を従えて彼は降臨した。

 彼自身の名も、また彼の仕える神の名も、誰一人として知る者は無い。

 それは奇形の神であるという。それは肉の神であるという。それは少女の姿を取るという。その神の名を、知る者は無い。
 だが、知るまでもなく判っていることもある。それは、彼が、天地を貫くその信仰と、魂の奥底から汲み出される無限の法力とが、真に比類無きものであるということ。

 だから人は彼の名を知らずとも、その称号だけで彼を呼ぶのだ。





 〈大神官〉と。






「お初に御目にかかります、大神官殿。東海六魔が第六魔、聖夜行路の夜魔と申します」

 彼を迎えたのは、漆黒に身を包んだ痩身の男だった。

「丁寧な御出迎え痛み入ります。どうやら小生、少しく遅きに失したようですな」

 白いローブの裾を翻し、大神官は自分が降臨した場所……第一階層、アルセノテリス交易社務所跡を見渡した。
 数十連の鳥居は残らず朽ち木の山と化し、壮麗な構えの社は灰に還って跡形もない。鈴は潰れ狛犬は砕け、そこら中に散らばる細かな丸い粒は、元は境内の玉砂利ででもあったろうか。
 そして廃虚の一隅には、鳥居の残骸らしきものを使って間に合わせの六芒星型が組み上げられ、その中心に見上げる程大きな蝙蝠の翼に似た物体が、破れ傘のようになって磔にされていた。機能停止こそしていないが、戦闘能力を奪われていることは一目で分かる。パルボ兵装肢の一つ〈左翼〉である。

「なんの神官殿、気にすることはない」痩身の着流し姿が、背後の影から音もなく現れた。

 魔帝ヨッド、破れ傘をこしらえた張本人は無造作に水晶の長剣をとんとんと肩に叩き、

「何せまだ殺し切る訳にはいかないんでな。あんなものはただの座興よ」

「そうそう。時が来るまでは精々、この神社の再建にでも汗を流すとしましょう」

 夜魔が足下の瓦礫をひょいと一つ持ち上げ、茶目っ気のある仕草で微笑んだ。大神官が訝しげな顔をする。

「再建?」

「元はと言えば我らがここにいるのも彼女のおかげと言えなくもない。これくらいしてやっても罰は当たらないでしょう」

「俺の所には何と言ったかな、斧を担いだ若造が来たぞ。大神官殿の所へは来なかったのか? あの娘の使いが」

「ああ来ましたとも、愛くるしい四つ目の少女でございました。巫女子嬢の手配りとは不覚ながら小生存じませんでしたが、そういうことなら」

 くっ、と手にした宝錫をもたげると、周囲の瓦礫や木材の破片が残らず宙へ浮かび上がった。

「願いましてはコギトありて、コギト・コギト・コギト・エルゴ・エルゴ・コギト・エルゴ……」
「ほう、カルテジアンですか。また古風な技を」
「お恥ずかしい。小生、根が固陋なものでして」
「いやいや。見事なものだ」

 大神官の歌うような呪言に合わせて瓦礫たちは空を舞い、踊り、ひとりでに元の姿へ組み合わさってゆく。合いの手代わりに水晶の剣音、闇翼の羽ばたきが挿まれ、およそ場違いな程のどかな空気がこの迷宮に流れ、そうして、

「…………エルゴ・エルゴ・スム!」

 大神官の一声と共に最後の隅石が元の場所に収まった時。


 鐘が、鳴った。

〈諸神降臨の章・6へ続く〉


語注

・斧を担いだ若造…戦斧王ヴェルデリナント。巫女子の章参照。

・カルテジアン…神術の一種。創造と展開を表す二種類の呪言「コギト」と「エルゴ」を重層的に組み合わせ、その連なりから奇跡を引き出す。古代に編み出され、大神官の得意とする強力な術であるが、時代遅れと呼ぶ者もいる。同系の神術にアンガージュマン、ケーレ、デ=コンストラクションなどがあり、どうやらレイシャもこの神術の一派を修めているらしい。
#本当はデカルト学派の別名。有名な「コギト・エルゴ・スム」を唱えたのがデカルトである。