巫女子の章・5
 (Rebis)

 ゆっくりと、光が戻ってきた。
 僅かな震動、そして激しい蹄の音。巫女子の頬に当たっているのは、柔らかな革の感触。
 耳を立て、目をうっすらと開けたまま、辺りを見渡した。

 ……チャリオット…?
 前方で疾走する魔界の騎馬と、左右で回転する刃付きの車輪。
 四頭立ての巨大な戦車は、暗雲の上に蹄と車輪を叩きつけながら、闇の空を駆け抜けている。

 まったく状況がつかめない巫女子は、誰か他に乗っている者がいないかと、ふらつく視界で前の席を見た。
「……ねえギラぁ、ホントに迷宮に入るの? ボク、知らないよ? 入った男は誰だって衛兵にぷち殺されちゃうんだから……」
 のんきな口調に、巫女子の胸は躍り上がる。ルキナ!? ルキナが、生きとるんか!?
「ガッハッハッハ!!」
 ぼやけた頭が痛むほどの大声が、座席の別方向から上がった。
「そうか。しかし俺はホモだからなァ! 衛兵も大目に見てくれるかも知れんぞ、ムフー」
 ……???
 いくらセルージャがゴツくても、アレはない。
 巫女子はそこにいるのが誰なのか気になって、むくりと身を起こした。
「あ! 起きたんだ。おはよ〜」
 やはりルキナに似た口調が、巫女子に挨拶をした。チャリオットの席に座るのは……ツンツンとシャギーの入った黒髪をした、幼い少女。その顔つきはルキナより幾分小悪魔めいていて、体にはヴァイアランスのルーンが刻まれている。
 …ヴァイアランス!?
 巫女子は意識が途切れる前の出来事を思いだし、口をパクパクと動かした。
「あ、あ、あ…な、何がどうなっとるねん!? ウチ、助かったんか!? あんさん達は何者ですのん? 塔は!? 迷宮は!? 塔主はんは!? 迷宮のみんなは!?」
「そんなにいっぺんに言われても、答えらんないよぉ」
 少女は振り返って背もたれに顎を載せると、くすくすと笑った。
「ボクはキャミラ。ラネーシア…じゃなくて、ヴァイアランス様のケイオスソーサラーだよ。こっちはギラ」
 自己紹介をしながら、キャミラは隣に座る巨大な牛男を指さした。
 手綱を取っているギラという男は、筋骨隆々の体の上にある牛の頭部を巫女子に向けて、ムフーと荒い息を吐く。
「おお、起きたのか。俺はギラ。ヴァイアランス様のケイオスヒーローだ。ん〜、しかし惜しいなあ。お前そんなに立派なちんこをしてるのに、フタナリだとはなァ! ガッハッハッハ!」
「ギラはホモなんだ。結構硬派だから、両性具有には何もしないよ」
「ムフー、そんなに誉めるもんじゃねえ。やっぱちんこには胸毛と筋肉よ!」
 訳の分からないことを言い合いながら、ヴァイアランスの使徒達は大笑を続けた。
「あー、あの。そいで、なんでウチはあんさん達と一緒に……」
「上からの命令なんだ。変な塔に行って巫女を拾って、山に届けろってさ」
「山…? あ…上っちゅうことは、その、一番上はヴァイアランスの神さんですよなあ?」
「ん、まあそうだね。さすがに神様から直接言われたわけじゃないケド」
「そうですか…」
 巫女子は大きく息を吐き出した。祝詞を捧げる途中から記憶は薄れて……あの後何を考えたのかも朧ろになっているが、どうやら自分はヴァイアランスとの一体化を免れたらしい。
 もしかすると、見逃してくれはったんかも知れへんな。
 巫女子は疲労しきった顔に微笑みを浮かべ、キャミラに質問を続けた。
「あ、そいで、塔はどないなってました?」
「さあ? 別に普通だったと思うケド」
「あの塔主はいけねェなァ、あんなにヒョロヒョロしてちゃよ。やっぱ男は筋肉! ムン!」
 ヴァイアランスの降臨の後でも、塔は残っているようだ。ギラの口調だと、塔主も健在なようだが……
 まあそれは、後で塔を訪ねればいい。気になるのは、迷宮の皆のことだ。
「あの、迷宮はどないなりましたか、分かるやろか?」
「迷宮? ああ、ルキナのいるトコね。ブッ壊れたから移転したって、聞いたけど」
「移転……?」
 巫女子はぱちくりとまばたきして、言葉を噛みしめた。
「ほな、ほな、消滅しなかったんでっか!? みんな助かって……!?」
「んー、どうなんだろ。一人死んだとか消えたとか……」
「あ…」
 イェンや。
 塔で砕け散ったティー=トゥー=イェンのミニチュアを思い出し、巫女子はカクンと肩を落とした。
 そうやった。ウチがヴァイアランス様を呼ぶ前に、イェンはもう……
 ぽろぽろと、眼鏡の奥から涙がこぼれる。新参の巫女子にも、先輩として優しく接してくれたイェン。床を一緒にしたことは一度だけだったけど、逞しく、強く、愛してくれた。あのイェンが……新たな迷宮には……もう…
「しかしなァ。なんだってまた、その死んだヤツの剣を、塔に届けなきゃならんのだ?」
「復活させるって言ってたよ」
「んー? そいつは剣なのか? しかし剣は死なねえよなあ、普通。ムフ〜…」
 ギラが神妙な顔をして鼻息を出す。その会話を聞いて、巫女子はキャミラの肩をつかんだ。
「ふ、ふ、ふ復活って、復活できるって言いましたんか、塔主はんは!?」
「いた、痛いよ、肉球がぷにぷにするよ〜。……ってことは痛くもないか。…え? ゴメン、なんだっけ、復活? うん。なんかできるらしいよ。でもその人、剣なの?」
「いや、剣じゃおまへんけど……あの剣は普通の剣やないし、何となく何とかなりそうですわ…はあ…」
 巫女子は安堵しきって、椅子に深く腰掛けた。眼鏡を外し、涙を袖で拭う。
 何のかんのと言って、あの塔主にはずいぶんと恩ができた。猫パンチなぞ喰らわせてしもうて、悪かったな…

「そろそろ着くよ〜。ほら、あれが魔山ヘキサデクス!」
 キャミラの声に巫女子が眼鏡をかけ直すと、魔界の雲と山脈の中で、一際巨大な山が天を引き裂いていた。
「あの山に…」
「うん。あそこに見える城の地下にできたとか、言ってたかな。じゃー全速前進〜♪」
「あ! ちょ、ちょっと待ったって下さい」
 巫女子に言われ、チャリオットは魔山の手前で速度を落とした。
「ウチ、山の中腹で降りますさかいに。後は自分で迷宮に入りますわ」
「ほえ? なんで?」
「なんかこう、こっぱずかしいんですわ……どっかに隠れてたことにしますさかい、どうかウチが乗ってきたことは秘密に…」
「ふうん。別にいいよ。じゃあギラ、その辺につけて」
「おうよ!」
 チャリオットは方向を変えると、ゆっくりと山の黒い岩肌に降りた。
「おおきに」
 空の賽銭箱を風呂敷で担ぎ、チャリオットから降りた巫女子は、二人の混沌戦士に手を合わせた。
「うん。じゃあ、気を付けてね」
「その仲間の剣とやらは、俺達がしっかり届けるからな! 安心しとけ、ガッハッハッハ!」
 ギラが手綱を振るうと、混沌の戦車は車輪の音も勇ましく天に駆け上がった。
 戦車は城へまっすぐ向かい……衛兵の群に囲まれて……爆発した。
 片方なくなった座席からは、牛頭の男が変なポーズで落っこちていく。
「にゃふふ」
 山に突き刺さったギラを見て……巫女子は久々に、笑った。

 疲れ切った体と、軽くなった賽銭箱。その二つを供に、巫女子は山の上にある城を目指す。
 ウチ一人では何もできへんかった。みんなの……おかげや。
 サロンの勇士達、塔の主、偉大な魔神達、ヴァイアランスとその使徒。
 絆で結ばれた皆の力で、迷宮は守られたのだ。
 巫女子は頭を振って、鼻をずっとすすり上げると、歩き出した。

 巫女子のいる、未来へ向かって。

<巫女子の章・完>