巫女子の章・4
(Rebis)
「次元が震えているな。凄まじいエネルギーだ。……神が、降りているか」
塔の屋上から見渡せる無数の次元、そしてその上を覆う雲の海を見下ろしながら、塔主は呟いた。
流星が一つ。それに続いて無数の星の海が、遙かな天上から雲間に落ちていく。
「あれは剣星……動くところを見るのは初めてだ。距離があって良かったな」
数え切れない光点をバイザーに反射させ、塔主はのんきな感想を述べた。
「ボケっとしてるヒマがあったら、手伝うて下さい! 時間がないんや!」
塔の屋上に作られた神殿の上から、巫女子は塔の魔術師を怒鳴りつけた。
「もう僕にすることはない。材料を用意し、建築も終えた。あとはむしろ手を出さない方がいいだろう」
「う…」
もっともである。巫女子は呼吸を落ち着かせると、ヴァイアランスのルーンの前に三毛御餞(みけみけ)を供えた。
次元群の上にそびえる塔の屋上、そこは巫女子の知る中で最も高次な場所だ。
石畳の上には数え切れないほどのルーンが刻まれ、塔全体を守る霊気を生み出している。その中心に、今は少々風景とそぐわない高床式の建物があった。巫女子の出身地風の、木と紙で作られた社。その屋根には大きな猫の耳が二つも付いている。
これこそ神の降りる場所、猫巫女の神殿である。
神殿に入った巫女子は身を清め終わり、ヴァイアランスへ祝詞を捧げる準備に入っていた。
「銅鑼の音……華界の龍虎将軍か? よくそんなモノと縁をとりつけたな…」
塔主は連なる次元の彼方を見据えたまま、ほう、ほうと感心する声ばかりを上げている。
魔神達が動き始めたということは、サロンの皆は任務をやり遂げてくれたということだろう。巫女子はわずかに安堵し、その大きな胸をなで下ろした。
「始めまっせ! ウチの遺言、ちゃんと覚えてまっか!?」
「心配しなくていい。ここ数百年、忘れた知識はない」
「はいな」
…いちいちイヤミなお人や。
巫女子は玉串を手に取ると、心を静め居住まいを正し、ゆっくりと二度頭を下げた。
「天地の彼方に神居りまするは 混沌の親神 杯荒須神……」
そこまで祝詞を口にした所で、巫女子は目を丸くした。
揺れている。社が、ルーンが、供物が。大気は震え、塔を守る霊気は悲鳴を上げていた。
まさか……名前を呼んだだけで、気付きはったんか!?
ヴァイアランスの接触が、来る!
神の声に備え、意識を集中させた、その瞬間。
巫女子の体は炸裂した。
体中から、水分という水分が流れ出していく。汗も、涙も、尿も、そして男と女それぞれの体液も。
喉が詰まり、取り落としかけた玉串を必死につかんだ。苦悶のあまり爪を立てた床板は、粘液にまみえれながらバリバリと引き裂かれた。
……いや、これは苦痛ではない。快感なのだ。
どこからか、何か巨大なものが、自分の中に入り込んでくる。魂が溶けていく。吸い込まれていく。
我が名を呼ぶものは誰だ…?
塔が震えた。
次元の奥底、神や魔神の住処よりさらに深い混沌の最奥から、声が響く。
やはり、あれだけの祝詞で、もうあの神は気付いたのだ。
ヴァイアランス……そこまでは認識できるが、巫女子にはそれ以上思考できない。
「…ぁ……っ……て……」
祝詞の続きが空気の切れ端になって、口からこぼれた。だがそれもすぐに唾液と吐瀉物に混じって、床に広がる。
一つとなれ。我と一つに。
凄まじい魂の震動が、巫女子の意識を揺さぶった。肉体の感覚が遠ざかり、快感に悶え狂う魂だけが、巫女子の中から飛び出そうになる。
このままでは、迷宮を救ってほしいという意志も伝えぬまま、ヴァイアランスと同化してしまう。
みんな……迷宮のみんなを……助け……
必死の想いも、怒濤のような悦びに呑み込まれた。快感、そして至福が魂を捕らえる。
みんなを…ああ…みんな……
たす…あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああ……ええわ……ウチはこのまま、この神さんと一緒になるんか……
幸せにゃ……ああ……幸せ……おかんみたいや……
にゃ〜…
…………
……
…
幸せやけど、こんなのイヤや。
ウチな、大事な人らがいますねん。
ええ、まだそんなに顔を合わせてはいまへん。
なのになんで、そないに気に掛けるんかって?
そうですわなあ。考えてみたら、不思議ですわなあ。
惚れたはれたゆうのとは違います。どっちかっちゅうと、新参者で浮いとりましたしにゃ。
でも…なんて言いますんやろなぁ。
仲良くなれると、思いますんや。
メリンとメランちゅう子らが、これがまた可愛い子らでしてなあ。ブルマ履いとりますねんで。ブルマ知ってはります? 体操着。ええ。姉さんの方はぽーっとしてるけど素直で無邪気で……妹の方は、意地悪そうだけどスゴイ姉さん思いなんですわ。ええでしょう?
セルージャはんゆうのは、看護婦さんなんですけども、ごっつくて乱暴なお人でしてなあ。でもね、これがまた見かけによらず、レイシャはんゆうメイドさんにベタ惚れなんですわ。見てるとこう、むずがゆいくらいでしてなあ……お二人ともいい人やから、ちゃんと仲良うなって欲しいですわ。
でな、ルキナはんとザラはんちゅうのが、戦ってますんよ。ルキナはんは……ん〜。ウチちょっと気に入らへんつもりやったんやけど……今思うと、あれで案外優しいお人かも知れまへんな。ザラはんはウチと同じクチで……ああ、みんなに馴染んでくれはるんやろか……心配やわ……
イェン……そう、イェンはんが……うう、ぐすっ。もう死んでしまわれたんですわ…ああ…。ウチのことよう目にかけてくれて、守護者仲間のことをいつも見守ってて……神さんはどうして、あないな人を……
そうや。神さんは、あんさんでしたな。
ウチ、分かりましたわ。
ウチはやっぱり、みんなのコトが好きなんや。
いや、好きなんやけど、これからもっと好きになる。
これからもっと好きになれる、その未来が大事だったんですわ。
ああ…でも、ウチがここでいのうなったら、ウチはその未来にはおられへんのですな。
いいんです。
ウチがおらへんでも、きっと、みんなはもっと好き合っていけるでしょうから。
ウチの少しの思い出で、みんなの未来で待ってるたくさんの思い出が守られるなら、それでいいですわ。
せやから神さん、どうかみんなを守って下さい。
みんな……さよならや。
元気にやったってな……
みんな……
<巫女子の章・5へ続く>
語注
・三毛御餞…みけみけ。御餞(みけ)とは、神に供える聖なる食物のこと。猫巫女の一族は、これを三色三種類に分けて並べた「みけみけ」を儀礼に用いる。伝説的な猫巫女である三毛子(みけね)という巫女が始めたことが由来。