巫女子の章・2
 (Rebis)

 戦斧王ヴェルデリナントは、その日も塔のサロンで深い椅子に腰掛けながら、ノルルラント産の紫茶の香りを楽しんでいた。
 戦斧一つで王国を打ち建て、数々の魔王と災いを討ち滅ぼしたことから、彼は不死の戦斧王と呼ばれている。国政と戦いで多忙な日々の中、時を超越したこの塔に招かれて応接間で過ごすのが、最近の彼の何よりの楽しみになっていた。
 次元の彼方にそびえるこの塔には、数多の世界の英雄や魔術師達が、塔主に招かれて訪れている。客人達は主にこの応接サロンでくつろぎ、自分達の伝説や遠い世界の知識を語らい合うのである。
「そうでしたか……その頃急にメクリス系魔界の力が落ちたのは、あなたが黒の鉄槌を破壊したからだったんですねえ」
 ヴェルデリナントの正面に腰掛けた白い鎧の男が、にこやかに笑った。彼は魔界に沈みつつあった故国を救った、救国の聖騎士なのだと言う。
「ほお…そうなるとアレだな。俺の戦いが、遠く君の戦いを助けることになっていたとは……世界は面白いものだ」
 ヴェルデリナントはごつい顔に力強い笑い皺を刻み、もう一口茶をすすった。
「黒ノ鉄槌ト言エバ、アノ人ガ破片ヲ売リニ来タコトガアリマシタネ」
 聖騎士の隣に座る鉱石生物の勇者−−ヴェルデリナントには岩に小さな目が付いているようにしか見えないが−−が、ギギギと重そうな腕を上げた。
「そんなこともあったな。あの時には流石に驚いたぞ……俺の壊したあの化け物が、魔導師の間で高値で取引されてるなんて言うから……」
「彼女…ああ、彼女ってことはないのかな? あの人は、いつもお金儲けの話ばかりですから…」
「戦斧王直々のお墨付きが付けば、値段が跳ね上がるとか言ってなあ。困ったもんだ…」
 ヴェルデリナントが豪快に笑おうとした、その時。
 サロンの扉が勢い良く開かれ、鈴の音と足音と荒い息が、飛び込んで来た。
「た、た、た、大変なんや! み、みんな、ウチの話…聞いたってーな…!!」
「おや、噂をすれば、だな」
 ヴェルデリナントの視線の先には、今話題にしていた……猫巫女が立っていた。
 丸い眼鏡に黒い髪、そして猫めいた耳や手足。東方文化を思わせる白と赤の衣装を身にまとい、今は大きな包みを背負って息を切らしている。あの……陰部を丸出しにしている姿にはどうにも慣れないのだが、そういう習慣であるのだろうから仕方あるまい。
 巫女の少女−−そう、巫女子という名前だったな−−は、背中から包みを降ろすと近くの女神官の紫茶を奪って飲み干し、大きく息を吐いた。
 また博打でもしに来たか。あるいは儲け話か、宝の地図か。
 しばしばこの塔を訪れるものの、サロンではいつも金の話しかしない巫女子である。ヴェルデリナントと聖騎士は、顔を見合わせて頷いた。
「ぱ、ぱる、ぱる、パルボIQが出たんや! 今、ウチが働いてる場所に……はあっ……はあ……」
 巫女子が耳慣れぬ単語を叫ぶと、サロンの数カ所から失笑が上がった。
 意味が分からぬヴェルデリナントは、失笑の出所を捜して当たりを見回す。
「ぷせりぷせり。巫女子殿、パルボIQはその存在が確認されず数千年り。今や存在忘却されり、余人にはパルボIQ則ち伝説に過ぎぬりと申す者も。パルボIQ出現せりとは、甚だ失笑、り、り、り」
 サロンの隅に浮く、ローブを着た電光のような奇妙な生物が、チカチカと笑った。
「だあほっ! わざわざ冗談言うために、こないな塔まで走ってくるボケがどこにおるねん! と、とにかく、頼みたいことが……」
「待ってくれ、話がつかめん」
 ヴェルデリナントはその巨体を椅子から立ち上がらせると、柔らかな絨毯を踏みしめながら、巫女子の前まで歩んだ。
 戦斧王だ、ヴェルデリナントだ、という囁きがサロンのあちこちで上がる。ヴェルデリナントはそれらを意に介せず、武骨な籠手で自分の顎髭をさすった。
「確か……巫女子殿と言ったな。すまないが俺は戦士で、世の中の伝説なんぞはあまり知らん。……そのパルボなんたらと言うのは、何なんだね?」
 巫女子は目をぱちくりさせると、ヴェルデリナントの無愛想な顔を見上げ、ああ、ととぼけた声を出した。
「そや、パルボ言うても知らんお人の方が多いかも知れまへんな。ええと……」
「究極絶滅電脳兵神。古代、第二期魔法帝国が世を滅ぼす災いを封じようと作りだし、結局は帝国を滅亡させる直接の原因となった、最悪の兵器。……でしたね」
 巫女子の脇に座る女神官が、新しい茶を注ぎながら呟いた。
「そう、そのパルボですわ。ほんまに、ほんまにそいつがウチらの迷宮へ……」
「ふむ。では巫女子殿、ここに来たということは、まさか俺達にそいつを退治して欲しいということかね?」
「ぷせり! 不可能り!!」
 ヴェルデリナントの言葉を遮るように、電光生物が奇声を発した。
「絶対否定者パルボIQ、如何な魔法剣技と雖(いえど)も無力なりりその前では。ここに集える者全てで立ち向かおうとも、話にならぬりぬ」
「んなことは分かってるんや! 黙っとれ」
 巫女子に一喝され、電光はぴきーと妙な音を立てて押し黙った。
「誰もあないな化け物相手に正面切って戦えなんて、アホなことは言いまへん。ウチが頼みたいのは、この玉串を運んでほしいっちゅうことなんですわ」
 巫女子は懐から玉串……ヴェルデリナントには、木の枝に紙片をくくりつけた物にしか見えないが……を幾本も取り出すと、テーブルに並べた。
「……あなたがそれほど困窮していると言うなら、私も助力は惜しみません。一体どこへ運べばいいのです?」
「同右デス。我輩モ依頼ノ目的地ヲ聞キマショウ」
 ヴェルデリナントと向かい合っていた聖騎士と鉱物勇者が、椅子から立ち上がって尋ねた。
「聖三字の闘場、天界の碑板墓場、<Dの地球>の剣宮、銀星の忍び淵……」
『!!!』
 今度こそ、サロン中が驚愕に揺れた。
 巫女子の口からは、まだ次々と、伝説に残る魔神の聖域の名が紡がれる。そのいずれも、次元を超える英雄達とて恐れて近付かない真の魔界ばかり……
 ヴェルデリナントも戦慄していた。一つだけ、聞いた名前がある。滅砕の魔帝が住まう<Dの地球>、そこはあらゆる戦士にとって恐怖と羨望の入り交じる場所だ。
 その地には究極の剣を持つ『滅砕の魔帝』が住み、己れと剣を交える強者を待ち続けていると言う…
 まだ国を持たない頃のヴェルデリナントは、一度だけ滅砕の魔帝の影を見たことがある。魔王を倒す戦斧を求め、砂漠の空中遺跡を探索していた時、その壁画はあった。ただ一振りの剣を携えた、痩身の剣神。その幻影が現れるという罠にかかり、ヴェルデリナントの魂は危うく破壊される所だった。
 それほど恐ろしかったのだ。魔帝の幻影が……ニセモノだったと言うのに。
「俺達に……そこに行け、と言うのか……」
 いつの間にか、ヴェルデリナントの膝は駆け出し戦士のように震えていた。
「聖三字の闘場って……私の国の神話に出てくるわ。未来城っていう城への入り口で、私の女神様が……そこを尋ねて……」
「碑板墓場……あ、あの、封印された星の神がいるという場所ですか!? む、無理です、私の守護神はそこの剣星と戦って、何千年もの眠りについているのですよ!」
「<忍び淵>……トハ、<恐ろしき影>ノ住ムトイウ、アノ場所…?」
 無理だ! 無理だ! 無理だ! サロンのあちこちから、様々な声と言葉で、否定の意が上がった。
 無理だ。ヴェルデリナントの心も、そう呟いていた。
「……無理っちゅうことは百も承知や。せやけど、ウチには皆はんしか頼める御仁がいてへんのや!! 報酬ならここに用意してあります、どうか、どうか!!」
 巫女子は叫ぶと、背負っていた箱を、一気にひっくり返した。
 途端にサロンに溢れかえる、光、光、光。黄金、宝石、剣、鎧。満ちる魔力と輝きが、その宝がただの財宝ではないことを教えている。
 居並ぶ英雄達ですら滅多にお目にかかれないような、真に希少なマジックアイテムの山が、そこにあった。
「たのんます! ほんまに……ウチ、ウチ……今いる場所を、無くしとうないんです! お願いします!」
 巫女子はサロンの絨毯に額をこすりつけて、精一杯に叫んでいた。
「………」
 宝物の山から一振りの宝剣を手に取ったヴェルデリナントは、思う。
 これ一本でも、人間なら楽に一生暮らせるだろう。才気を持つ人間なら、俺のように国を打ち立てることすらできるかも知れない。
 いつも金にばかりこだわり、サロンの客達を呆れさせていたこの少女が、こんな財宝を投げ出すと言うのか。
 宝の価値がどうと言うわけではない。所詮戦士上がりの国王には、この山の価値など測りきらない。
 ただ、巫女子の必死の想いだけは、彼の戦士の魂に通じていた。
 金貨の山にザクリと剣を刺す。

 思えば、死ぬ気の冒険など、長くしていなかった。
 滅砕の魔帝、究極の剣士の居城……舞台に不足はないではないか。

「不死の戦斧王ヴェルデリナントに、臆すなどという言葉はない! 巫女子殿、俺は行くぞ」
 ヴェルデリナントの言葉に、サロンが揺れた。
「おっちゃん……ほんまに、行ってくれはるんですか!?」
「おう。ただし俺の知っている場所は、<Dの地球>とやらだけだからな。そこ担当にしてもらうぞ」
 眼鏡の奥を涙で一杯にした巫女子に、ヴェルデリナントは大きく頷いた。
「……私も行きましょう。我が神は剣星シリウスにも退かなかった。私がここで退くことが、我が神への名誉に添うとは思えません」
「泣かないでよ、巫女子さん。未来城のアーセカ様なら、私の神様と……少しだけど……縁故があるし、何とか闘場まで行ってみるわ」
「我輩モ参リマショウ」
 巫女子の周りで、次々と声が上がった。
 すでにサロンの半分近い英雄達は身支度を始め、自分が向かうべき魔界の見当を付けている。
「ぽすりぽすり。是非もなし、我も同行すりり。ただし生還の暁には、そこなる財宝中の秘薬はいただいておくり」
「あんさんも……」
 巫女子の眼鏡にカラフルなスパークを反射させながら、電光魔術師も英雄達のパーティーに加わった。
 こうなれば彼らの行動は早い。伝説の魔術師達が異界への門を開き、剣士と勇者達が闇を切り裂いて、次々とサロンから飛び出していく。
 <Dの地球>を目指すことになったヴェルデリナント、聖騎士、鉱物勇士、女神官、そして電光魔術師は、いつの間にやらサロンに残る最後のパーティーになっていた。
 ヴェルデリナントの背後では、例の電光生物が詠唱を始め、異界へと通じる魔力門を作りだそうとしている。
 出発を前にしたヴェルデリナントは、床でまだしゃくりあげている巫女子の姿に気付き、なにげなく声をかけた。
「そう言えば巫女子殿。君はどうするんだ?」
「ウチ? ウチですか……?」
 ふむ、と頷きながら、ヴェルデリナントは顎髭を撫でた。まさかここで留守番していると言うこともあるまいが……巫女という職業を知らぬ自分には、見当もつかない。
「ウチは、ヴァイアランス様を呼んでみます」
 巫女子は眼鏡を外して涙を拭うと、にっこりと笑った。
「ふむ」
 やはり、分からなかった。
「ヴェルデリリリナント殿! 異界門が開通せり!」
「おお! 今行く!」
 愛用の斧を肩に担ぐと、ヴェルデリナントは青い光の中へと飛び込んでいった。
 巫女子の笑みに隠されていた寂しさを、少し気にしながら。

 結局、<Dの地球>から生還して塔主に話を聞くまで、ヴェルデリナントには分からなかったのだ。
 その時の巫女子が、死を覚悟していたことなど。

<巫女子の章・3へ続く>