玄魔様よりいただいた小説を掲載いたします。
 テーマは2001年冬の同人誌『GW10 両性具有賛歌』。
 一冊の本そのものをテーマにしたショートストーリー、登場する諸魔神の元ネタ当てなども楽しまれつつ、ご覧下さい。



『両性具有賛歌』に寄せて・雪辱編
(玄魔)






―――──前夜―――──



「『おんこうていそだてまつり』?」
「『おとこうたいいくさい』だ。音高体育祭」

 魔神の中の魔神、大いなるエルダー・ワークスの一柱たる〈千年皇帝〉は胡散くさげな眼差しでその紙切れ……の、姿をした思念光片……をつまみ上げた。

「フン、名前は聞いている。両性具有の雛鳥ばかり集めたという城だろう。なかなかに面白い場所らしいが、たかが辺境の人間界の、また辺境の一星の片隅の城に過ぎんのだろうが? 行く行かぬという以前に、そんな所で祭をやるからといって、なんで我々までに声がかかるのか、そもそもそこがわからんよ」

 広大な霜の帝国を統べる偉大なる皇帝はその偉大さにふさわしく、吹雪のごとき鼻息をゆったりと吹いて巨大な椅子に身を沈めなおした。足元をうずめる深いアッソルト絨毯が、大広間の半分ほどまで真っ白く凍り付く。その面積当たりの単価を知ったら福神でさえ卒倒するだろう。
 その人影は皇帝とは比較にならないほど小さかったが、炎も凍る猛吹雪を平然と受け流し、飄然と御座の前に立っていた。黒のスーツに目の覚めるような純白のローブ、深く昏い瞳を眼鏡で隠した彼もまた、エルダー・ワークスに名を連ねる魔神である。

「さればさ」魔神ロード・オブ・ノーザン・マロウは愉快そうに、眼鏡を中指で押し上げた。
「君は長らく縁がなかったから知らぬのも無理はないが。その城の創立に、魔人殿が関わっていると言ったら、どうだな」
「何?」皇帝の表情が変わった。「それは初耳だ。Rebis殿がだと?……ならば、行って間違いもあるまいか」

 風が動いた。皇帝が獅子座に手をかけ、その巨体をゆっくりと起こしたのだ。ロード・ノーザンは満足げに眼鏡を直すと、ローブの裾を翻した。

「では、急ごう。おそらく、我らが最後だぞ」

 一瞬の後、そこには動くものは何一つなかった。ただ凍り付いたアッソルト絨毯だけが、神の力を寒々と示して広がっていた。




―――──開会式―――──



「……スポーツマンシップと、この比類ない身体を与えられた喜びと共に、正々堂々と競い合うことを……」

 染め抜いたような濃い青空に、凛とした声が吸い込まれていく。その吸い込まれていった彼方に何がいるのか、知っている生徒など無論いはしなかった。

〔いい声だ。魂に張りがある〕
〈素性も悪くない。育てばいい戦士になろう〉
「別に、戦士にするために育てているわけではありませんが」

 苦笑と共に、黒衣の男がゆっくり上昇してきた。両目を覆う黒いバイザーの中に、赤い光点がちかちかと愉快げに瞬いている。

〔おお、魔人殿〕
「ようこそお出で下さいました、剣星殿、肉神殿。今日はゆるりとお楽しみ下さい」
〈そうさせて貰うつもりだよ。しかし、三百周期か。魔人殿が迷宮を創立されてから、もうそんなに経つかな〉
〔悦しい刻は早く過ぎるものさ。運動会をやるから来いと言われた時は何事かと思ったが。とまれ、我等が一番乗りのようだな?〕
「間際にお招きした方々もいらっしゃいましたのでね。全員揃うにはまだしばらく……そら、もう一柱見えられたようだ」

 指さした先から、唸りを上げて回転する巨大な歯車が雲海を押し渡ってきた。タキシードに似た服に一分の隙もなく身を固めた、小柄な人影がその上に乗っているのが見える。さらにその後方からは、どう見ても巨大な臓物にしか見えないグロテスクな物体が、盲腸のような無数の突起物をうごめかせて迫ってきていた。

〈おお、おお。続々来るな〉

 半分が髑髏、半分が鮮やかな桃色の肉でできた壮麗な城の姿をした者が、楽しげにつぶやくと、一千本の銀の剣が、同意するように瞬いた。
 彼方で、また一つ雲が裂け、きらめく電波を王冠のように額にいただく機神が出現した。
 第64回音神高等学院体育祭。その開催に間を借りて、もう一つの桁違いに巨大な祝祭が、そのはるか上空で催されようとしていた。




―――──午前の部―――──



「位置についてーー……用意ー」

 どうん、と至近に落ちた雷が、ちっぽけな号砲の音をかき消した。
 降水確率は0%のはずであった。否、TVをつければ、今現在も日本全国秋晴れである。にもかかわらず、ここ音神高等学院の上空にはものすごい勢いでぶ厚い黒雲が集まりつつあった。

「気象庁からの映像来ました! 3番に回します!」
「西館上空の低気圧まだ下がります!こんなの異常ですぅ!」
「異常なのは分かってるわよ! 白魔研からの補充はまだなの!?」
「向こうでも何人か倒れてるみたいです。黙示録戦争級の霊圧だとか言って……あ、一年生なら一人回せるそうですけど」
「いないよりマシ程度ね……黒魔研にも繋ぎつけておいてちょうだい」

 音高体育祭運営委員会本部は狂乱の巷であった。天文部、風水部、占星術部、地球環境科学部、静止衛星愛好会ら関連団体からよりすぐった精鋭で構成され、音高のあらゆる屋外行事運営に絶大な貢献をしてきた気象予報特別委員会が、今回に限ってまったく機能していないのだ。
 気圧計は気が狂ったとしか思えない数値を示し続け、中央気象台にも匹敵するはずの予測システムは現状と何一つ一致しない結果しか出さない。機械で処理できない部分をフォローするはずのオカルト系スタッフは、開会直後からわけの分からないことを口走っては真っ先に卒倒してしまう始末である。

「……要塞衛星『くろばら』にアクセス。場合によっては大口径レーザー掃射による気圧補正も考えます」

 汗で滑る眼鏡を押し上げつつ、震える声を無理に抑えて運営委員長は命を発した。彼女の一番長い日はまだ、始まったばかりであった。



「……竜王殿! 竜王娑婆迩殿!? 何をしておられる」
§おう、銀星皇殿。いやなに、挨拶代わりに嵐でもひとつ§
「いかんいかん! 雨など降っては下の祭が潰れるわ」
§何? それでは雹の方がよいか§
「なおいかん。あの祭は、雲一つない晴天をもって最上とする。曇りでもよくない。雨や雹など論外だ」
§なんと。やわな祭だのう§




―――──応援合戦―――──



「お疲れさま、キリカ。今日は魂入ってるね」
「うむ、不思議に気分が乗ってな。天が言祝いでくれたかのようだ」



 人の眼には見えない雲海が、魔神で埋め尽くされていた。
 剣と杯と硬貨と心臓を携え、五十三枚の運命のカードを司る大獣神。桜の花弁のようなフォルムを持ち、全身をコラーゲン様の物質で覆われた異神。六支の枝を持ち三千世界に葉を広げる樹神。犬の頭を持つ暗黒の元帥。陶の心臓を掲げる闇の詩神。
 もはや伝説となった破壊神の襲来、その時すらも遙かに上回る激大な魔力が、この小さな星の一画に集結している。それは魔神達の大宴であった。

「今度は耐霊圧構造が抜けたりせんだろうな」
〈形而下面に建っておるから迷宮よりも基礎は頑丈なはずだが〉
◇ところで、さっきから下でやっているのは一体何だ?◇

 三叉の星を双つ持つ世界霊カラーズ・アースがふと漏らしたつぶやきに、居並ぶ神々が皆揃って下界を観た。魔人Rebisが諸神を招く口実としたその人間界の祭が、両性具有の少女達が体能力を競うオリンピアのようなものだとは皆薄々察していたが、今眼下で繰り広げられていることの意味を正確に理解している魔神は、少数の人界に通じた者以外には誰もいなかった。

◎ただの演芸ではないのか?◎
◇それにしては、よく気力がせめぎ合っている。競技の一つだと思うが、何を競っているのかな◇
「肉の争いには見えないぞ。霊戦か?」
//ここらの人間にそんな高尚な真似はできまい。大声勝負でもないようだし//
「あれはな、応援合戦というものですわい」小兵の老魔族が得意そうに説明を加えた。「いわば、極めて原始的な霊戦とでも申そうかな。紅白に分かれた陣営の双方に踊り手がつき、各々流の儀式にて、自分の陣営にどれだけ霊援を増せるか競っておるのですわ」
『おうなるほど。……どうだ、せっかくの祭ではある。我等も一つやってみぬか?』
〔我々があれに加わるのか? 面白い〕
∫ならば、陣営を分けねばならないな。私は白の組につこう∫
§俺は紅の組だな§
@私も紅だ。この凱歌仙にかかれば、この程度の闘いなど@
<何の、私は白につくぞ。目にもの見せてくれる>
「……ほどほどにお願いいたしますよ」魔人Rebisの控えめな制止の言葉など誰も聞いてはおらず、雲海は不穏な盛り上がりを見せていた。




―――──午後の部―――──



「……………………!!?」

 イリナ=ボルシスカヤは今日何度目かで、己の目を疑った。
 音高には文武共に傑出した……というか、人間離れした能力を示す者が珍しくない。特に運動能力に関しては、元オリンピック候補だった彼女でさえ舌を巻くような力量を持った生徒がごろごろしており、非公式ながら様々な種目で日本記録、場合によっては世界記録にさえ匹敵する数字を目にしたことも一度や二度ではなかった。
 しかし、それを考えても、今日の体育祭での選手達の発奮ぶりは異常というほかなかった。公式記録がこれを上回るにはあと数年はかかるだろうという数字、何年かかっても塗り替えられることはないだろうと思える数字が、まるで大安売りのように次から次へとマークされている。トップクラスの生徒ばかりでなく、運動がそれほど得意でない者、いや明らかに虚弱な体質の者までもが驚くべき記録を出していた。
 音体祭は運動会であって競技会ではないから、これらは公式記録はおろか学校の記録としても残ることはない。そもそも記録などとられておらず、今録っているメモも、イリナが個人的にストップウォッチで測っているだけのことである。もし、これらの数字を説得力のある形で公開できれば、あらゆるスポーツ界を根底からひっくり返すことができるだろうに。そう考えると、少し悔しかった。
 わっ、とどこかで歓声が上がった。40人41脚マラソンのトップグループがゴールしたようだ。通常のマラソンと言っても通用するタイムである。常識的なタイムからすれば早くてもあと一時間はかかるはずだったから、係の生徒が受け入れに右往左往している様が目に浮かぶ。
 身震いがイリナのたくましい背筋を走った。自分の出場種目が近づいている。スポーツ界がひっくり返ろうが返るまいが、そんなことはどうでもいいことだ。世界のどこにもない、この比類なき祭典に直接参加できていることこそ、無情の幸せというべきではないのか。
 イリナは一つ伸びをすると、手にしたストップウォッチを投げ捨て、職員室対抗借り物競走のためのウォーミングアップに向かった。




―――──閉会式―――──



「いや〜、今日はなんだか知らないけど、すごく盛り上がったねー」
「先生達も驚いてたよー、こんなにテンション上がった体育祭は初めてだって」
「明日筋肉痛すごそ〜」
「そうそう、だから出ないうちに打ち上げしとかなきゃだよ。カラオケ行く人ー?」
「あ、はーいはーい!」



「まったく、あなた方は。ほどほどにとあれだけ言ったじゃありませんか」

 バイザーの中の赤い星がとがめるように左右に振れると、万魔を伏する魔神達が揃って頭を下げた。頭のない者は、申し訳なさそうにその質量を縮めた。

「あの子達、これで筋肉痛くらいで済めばいいが。明日は休校だな……」

 ぼやきつつも、ダンジョンマスターはどこか楽しげであった。ともかく、宴は成功したのだ。それも、大成功だ。
 冬の大祭までもう間がない。今日の事々を碑版に留め、急ぎヴァイアランスへの供物としなくてはならない。楽しい仕事となるだろう。

「では諸神方、御機嫌よう。大祭であらためて、お目にかかりましょうぞ……」

 後に伝説となった第64回音神高等学院体育祭は、こうして幕を閉じた。その空前の盛り上がりの影に魔神達の暗躍があったことを、知る人間はいない。